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日本橋三越 美術の嶋田 修様より「初個展 萩焼 坂倉正紘 展」の拝見記が届きました。

令和2年8月11日(火)

日本橋三越本店 美術部の嶋田 修様より、この7月下旬に弊廊で開催した「初個展 萩焼 坂倉正紘 展」の拝見記が届きました。

嶋田様、お忙しい中、とても素敵な寄稿を頂きまして、ありがとうございました。

以下に記載致します。どうぞご清覧頂ければ嬉しいです。

きびしき残暑です。どうかお気を付けてお過ごし下さい。

 

店主 安田尚史

 

 

 

坂倉正紘氏、そして安田尚史氏へのエール

 

まず最初に、この非常に動きづらい厳しい時期に初個展を迎えることになった坂倉正紘氏と、展覧会を決行する勇気をお持ちになった柿傳ギャラリー店主の安田尚史氏に、心から敬意を表したい。この貴重な経験の先には、必ず人と人との強い絆が繋がりとなって廻って来ると信じている。

正紘氏に最初にお目にかかったのは、平成23年夏に大学から家に戻ったところ。萩で新兵衛先生ご夫妻にご紹介いただいたが、ご挨拶の後すぐロクロに座り仕事に戻り、少しでも土に触れていたいという思いが自然と伝わってくる出会いだった。結婚式を控え既に入籍を済ませ、家のお手伝いする初々しい奥様共々ご紹介いただいたのだが、特に新兵衛先生の奥様がとても嬉しそうな笑顔だったことが印象的だった。

坂倉家は十二代新兵衛が萩焼中興の祖として深川萩の隆盛を築き、十三代が継承し時代とともに大きくなっていった。ところが十四代の早世により十五代は大学卒業の翌年には当主としての重責を担う事になる。恐らく有無を言わせぬ状況だったのではないか。その後正紘氏が生を受けた時父は既に十五代新兵衛として活動しており、常に当主である姿を見ながら育ったことになる。その後父と同様に東京藝術大学へ進む道を選ぶ。選ぶと書いたが、簡単に選べる道ではない。様々なプレッシャーを乗り越えて自らの強い意志で切り開いて進んだのだろう。

東京藝術大学では彫刻を学んでいるが、素材としては土を選んだという。今回出品されているオブジェも、そして茶陶もその延長線上と考えているようだ。広い意味での造形感覚に制限はないという事だろうか。その振り幅の広さにまず気持ちの余裕というか、構えの大きさを感じた。また今回出品されている作品には様々な土の名前があるが、家の周辺にある足元の土を見つけ、ブレンドして作品にも取り入れているという。まずは足元から見つめる、とても大事なことだと思う。これは私の持論なのだが、絵画や彫刻などの作家は成功すると生活しやすい都会に住んで制作をする人が多いが、工芸家、特に陶芸家はその土地・空気と共に制作することに意味があると思っている。おそらく自然に家の周辺を歩き、土を見つけ、作品へと導いたのだろう。足元を見つめ直してその土を手にする自然の流れこそ、十五代続く深川萩の家を背負う歴史を深めることに繫がっている。

今回の作品を拝見すると、まずは大振りで堂々とした大道土の井戸型の茶碗が目を引く。坂倉家らしい枇杷色の肌に土味を見せる釉掛けも実に安定している。何より形が良い。若さと力強さの中に堂々とした高台・すっきりした口作り、今後もっと手馴れて落ち着いてくるだろうという粗さも含めて、現在の正紘氏を象徴する井戸型である。茶碗は他にもバリエーションがあったが、眼を引いたのは手捻りの盌。父である新兵衛先生は平成26年に佐川美術館と日本橋三越で十五代樂吉左衞門氏との二人展を開催し、そこで手捻りの樂茶碗を手がけた。その際萩では樂吉左衞門氏がロクロと手捻りで萩茶碗を制作。その近くに正紘氏もいた。その影響が少しあるのではないかと思う手捻り盌だろう。いや、オブジェの造形の延長線なのか、手捻りながらも造形の変化に無理が無く納まりの良い盌になっている。今後はもっと抑えられた中にも動きのある、個性の強い手捻りの茶盌が出てくるのが楽しみなところ。

何と言っても出品作のハイライトはオブジェ、そして造形的な花入だろう。土を練り上げたもの、表面に細かい彫をこれでもかというほど施し、動きのある形に有機的な表情を見せる作品、尖った部分を持ちながらもどこか土味のある柔らかさを感じるオブジェや花入がどれも印象的だ。土を動かし表面にも手を加え釉薬を掛け薪窯で焼成する、オブジェとはいえ”やきもの”と同じプロセスを踏んだ作品は、動きのある形ながら手捻り盌と同様やはり良く考えられている。柿傳ギャラリー奥の部屋に置かれた3点のオブジェは、まさにあの場所の象徴「守・破・離」と見た。オブジェでありなら、今後はもっと転んだり立たなかったり動きの変化を期待したいという思いと、表面の施しに存在感を持たせ形は逆に抑えられた方向に寄っていくのか、いずれにしても自然な流れの中、つまり正紘氏の頭の中に流れる音色から新たな造形は産まれてくるだろう。

最後に酒器がたくさん並んでいるコーナー、口が切れていたり釉薬も様々で、とても楽しいコーナーだった。「口が切れていても呑めれば良いですよね。」というその心持ちこそ、正紘氏らしさの表現ではないか。さすがに茶盌では口の切れたものは出来ないが、酒器ならできるその動きこそ、今後の制作に進む気持ちの原点だと感じた。この自由さを大事にして欲しい。

いずれにしても、このコロナ禍にもかかわらず訪ねてくるお客様が途切れ無い人としての魅力や、一人一人と丁寧に会話をしながら自身・作品に関して真摯に語る姿からは、現在の坂倉家の中での安定した立ち位置を感じた。この環境で制作を続ければぐんぐん成長していくだろう。その今後の作品をますます見たくなった、そんな展覧会だった。

 

令和2年8月

日本橋三越本店 美術部 嶋田 修